オレゴンワインの歴史
オレゴン州におけるブドウ栽培とワイン醸造の歴史は古く、州の成立以前からその歴史は始まっています。しかし、世界的な高評価を得るようになったのは、ここ50年ほどの間に品質が飛躍的に向上したからです。この長い歴史を紐解いてみましょう。
4. 現代 2000年~
始まり 1847~1960年
1847年:オレゴン・トレイル*の開拓者ヘンダーソン・ルエリングとその一家が、オレゴン初のブドウ栽培を含む数十種類の果樹栽培をアイオワからオレゴン自治領に持ち込む。
1852年:「オレゴン州南部果樹産業の父」として知られるスイス移民のピーター・ブリットが、ジャクソンビルに北西部初のワイナリー、ヴァレー・ビュー(Valley View)を設立。
1859年:オレゴン州がアメリカで33番目の州となる。
オレゴン・トレイル (19世紀のアメリカ西部開拓史において使用された移民ルートの一つ)
※「オレゴントレイル」とは、19世紀のアメリカ西部開拓時代、東部や中西部に住んでいた人々が、より良い生活を求めてオレゴン州へと旅した道のことを言います。彼らは、新しい土地で自給自足するため、様々な作物、そしてブドウも持ち込みました。
1889年:ワイン造りの経験を持つドイツ系移民のアダム・ドーナー(Adam Doerner)が、アンプクア・ヴァレー(Umpqua Valley)のメルローズ地区にある農場にブドウを植樹する。彼はジンファンデル、リースリング、ソーヴィニヨンを栽培し、禁酒法時代までワインとブランデーを造っていた。また、果樹園の手入れ、牧草の栽培、家畜の飼育も行っていた。現在、実り豊かなブドウ畑は一族に残され、5代目のクリスティーナ・ドーナー(Christina Doerner)が手入れをしている。
1904年 : フォレスト・グローヴ(Forest Grove)のワインメーカー、アーネスト・ロイター(Ernest Reuter)のリースリングが、1904年のセントルイス万国博覧会でオレゴンのワインメーカーとして初めて銀賞を受賞する。
1916~1933年 : オレゴン州では熱心な有権者により、全国的に施行される4年前に禁酒法が可決される。
1933年 : セイラムのジョン・ウッド(John Wood)とロン・ハニーマン(Ron Honeyman)は、1920年の禁酒法を制定したアメリカ合衆国憲法修正第18条の廃止後まもなく、認可されたワイナリー免許を取得した初期オレゴンの一員である。ハニーウッド(Honeywood)・ワイナリーはオレゴン州で最古の継続的に運営されているワイナリーであり、認可されたワイナリー番号26を持っている。
禁酒法 イメージ
創設者たち 1960~1980年
1961年:禁酒法が施行され、長い干ばつが続いた後、リチャード・サマー(Richard Sommer)は、アンプクア・ヴァレー(Umpqua Valley)にある自身のヒルクレスト(HillCrest)・ヴィンヤードで、リースリング、ゲヴュルツトラミネール、シャルドネ、セミヨン、ソーヴィニヨン・ブラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワール、マルベック、ジンファンデルを植え、オレゴンの近代的なワイン造りを開始した。ヒルクレストは認可ワイナリー証明書ナンバー42を持ち、オレゴン最古のエステート・ワイナリーとして知られている。
1964年:ポートランド出身のフードライター、ジェームズ・ビアードが自伝的な料理本「Delights & Prejudices: A Memoir with Recipes」を出版し、オレゴン州を美食の舞台へと押し上げる。
1965年:ピノ・ノワールの時代が始まる。デイヴィッド・レット(David Lett)はコーヴァリス近郊でブドウ畑の調査中にピノ・ノワールの挿し木苗を根付かせ、これがウィラメット・ヴァレーでの最初の植樹となる。そして、U.C.デイヴィス卒業後アルザスに1年滞在したチャールズ&シャーリー・クーリー(Charles & Shirley Coury)は、3月にこの地に到着し、レットが設立した苗畑に最初のブドウの木を植える。その後、クーリー夫妻はカリフォルニアに戻るが、ブドウの木はレットに託した。
デイヴィッドと妻のダイアナは新婚旅行中に、若いブドウの木を苗畑からダンディ・ヒルズ(Dundee Hills)のアイリー(Eyrie)・ヴィンヤードに移植する。デイヴィッドは、ブルゴーニュ品種はカリフォルニアよりもオレゴンでの方がうまく育つと確信していた。
その年の後半、クーリー夫妻は、1800年代半ばから禁酒法時代にかけてブドウ畑とワイナリーを営んでいたフォレスト・グローヴ(Forest Grove)の土地を購入する。彼らはピノ・ノワールとリースリングの植え替えを始め、この土地は現在、歴史的なデイヴィッド・ヒル(David Hill)として知られている。
1967年:リチャード・サマー(Richard Somme)の「最も重要な1967年の初収穫」。リチャード・サマーは約23,000リットルの果汁を得ると、昼間の仕事を辞めてフルタイムでワインを造ることを決意。オレゴン州初のピノ・ノワールのヴィンテージを瓶詰めする。
1968年:同じくU.C. Davisの卒業生、ディック・イーラス(Dick Erath)がウィラメット・ヴァレーに移住し、1969年のブドウ植え付けに備えて、早速名刺を作成。
1969年:ディック&ナンシー・ポンジー(Ponzi)夫妻がオレゴンに到着し、最初の8haのブドウ畑を植え始める。その後、ナンシーは「 ¡Salud! (1991年参照)」、その他の組織を共同設立し、夫妻はブリッジポート・ブリューイング・カンパニーとダンディ・ビストロを立ち上げる。
同じ年、ジム&ロイ・マレッシュ夫妻は、現在有名なマレッシュ・レッド・ヒルズ(Maresh Red Hills)・ヴィンヤードにブドウを植樹。
1970年:スーザン・ソーコル・ブロッサー(Sokol Blosser)とビル・ブロッサーは、最初の子供が生まれる2週間前に、ダンディにある放棄されたプルーン果樹園を購入し、ブドウの木を植えるために整地を始める。
ソーコル・ブロッサー ファミリー
1971年:デイヴィッドとジニー・アデルスハイム(Adelsheim)夫妻が、ニューバーグのクォーター・マイル・レーンに最初の土地を購入し、ピノ・ノワール、シャルドネ、ピノ・グリ、リースリングの栽培を始める。
カルとジュリア・リー・クヌッドセン(Knudsen)夫妻がダンディー・ヒルズに81haの土地を購入し、ピノ・ノワール、シャルドネ、リースリングを栽培。同年、フィリップとボニー・ジラーデ(Girarde)夫妻がアンプクア・ヴァレーの自社畑で栽培を始める。
1972年:ウィスノフスキー(Wisnovsky)・ファミリーは、オレゴン州南部のアップルゲート・ヴァレー(Applegate Valley)にある、先駆者ピーター・ブリット(Peter Britt)の1850年代のワイナリーとブドウ畑、ヴァレー・ビュー(Valley View)を復活させることを決める。息子のマークとマイケルがブドウ畑のスタッフとして駆り出される。
同じ年、ディック・トゥルーン(Dick Troon)がアップルゲート・ヴァレーのクブリ・ベンチ(Kubli Bench)にブドウ畑をオープン。
同年、ジム・マクダニエル(Jim McDaniel)は、デイヴィッド・レット(David Lett) 、チャールズ・クーリー(Charles Coury) と共にこの友情の証でもあるコラボレーション畑、マクダニエル(McDaniel) ヴィンヤードをダンディ・ヒルズに拓く。マクダニエルはオレゴン・トレイル時代から続くオレゴン州の5世代続く家族に生まれ、1964年に軍務で日本に赴任。そこで日本文化に興味を持ち、後に自身のワイナリーに日本庭園を造る。
1973年:オレゴン州土地保全開発局の設立に伴い、デイヴィッド・アデルスハイム(David Adelsheim )とデイヴィッド・レット(David Lett)が率いるグループが、ウィラメット・ヴァレー北部の優良ブドウ畑地帯を指定する地図を作成。そして、この土地を保護するための働きかけを行い、結果として*オレゴン州上院法案100が成立する。これまで農家は、個別に土地開発業者と闘ってきていた。
*オレゴン州上院法案100は、オレゴン州の土地利用と保全に関する法律であり、この法案は、オレゴン州の土地利用を管理し、開発を制限することで、自然環境を保護することを目的としている。彼らは、ブドウの栽培に最適な、北ウィラメット・ヴァレーの優れたブドウ栽培地域を保護し、その土地利用を守ることがブドウ産業の成長と品質にとって重要であると考えた。
ワイン造りのパイオニアであるビル・フラー(Fuller)とビル・マルクマス(Malkmus)によって1973年に設立されたトゥアラティン(Tualatin)・エステート・ヴィンヤードは、オレゴン州ウィラメット・ヴァレーで最も古く、最も尊敬されているブドウ畑のひとつである。トゥアラティン(Tualatin)は、ロンドン・インターナショナル・ワイン・コンペティションで、赤ワインと白ワインの両方で同じ年にベスト・オブ・ショーを受賞した唯一の畑であり、オレゴン州で最も権威あるワイン賞である州知事トロフィーを2年連続で受賞した唯一のワイナリーである(1994~1995年)。
1974年:収穫期作業のためにブルゴーニュを訪れたデイヴィッド・アデルスハイム(David Adelsheim)は、オレゴンではカリフォルニアの「ディヴィス」クローンよりも、同じように冷涼な気候であるブルゴーニュのクローンの方が適していることに気が付く。それから10年をかけて、アデルスハイムはオレゴン州立大学醸造学教授デイヴィッド・ヘザーベル(Heatherbell)の協力を得て、1984年にブルゴーニュからディジョン・クローンを輸入する。
1975年: カル・クヌッドセン(Cal Knudsen)とディック・イーラス(Dick Erath)がクヌッドセン・イーラス・ワイナリー(Knudsen-Erath Winery)を設立し、ダンディ・ヒルズ初の商業ワイナリーとして認可ナンバーNo.52を取得。
(左)ビル・ブロッサー (右)デイヴィッド・アデルスハイム
1976年: マイロン・レッドフォード(Redford)がアミティ(Amity)・ヴィンヤーズにワイナリーを建設し、最初のワイン「ピノ・ノワール・ヌーヴォー」を造る。
1977年:キャンベル(Campbell)ファミリーが、3年前にガストンに植えたエルク・コーヴ・ヴィンヤード(Elk Cove Vineyards)のブドウのファースト・ヴィンテージを醸造し、カスティール(Casteel)ファミリーがセイラムにベセル・ハイツ・ヴィンヤード(Bethel Heights Vineyard)を創設。一方、マクミンヴィル(McMinnville)ではニック・イタリアン・カフェがオープン。
オレゴン州のワインメーカーが協力し、国内で最も厳しいワイン表示法を提案。
1978年:グランツ・パス(Grants Pass)で、テッドとメアリー・ウォリック(Warrick) 夫妻がアップルゲート川を見下ろす土地にブドウを植え、ウールドリッジ・クリーク(Wooldridge Creek)・ヴィンヤードを設立。
1979年: アイリー(Eirie)・ヴィンヤード1975サウス・ブロック・リザーブ・ピノ・ノワールがパリのゴー・ミヨ・ワイン・オリンピックのブラインド・テイスティングでトップ10に入る。
ゴ・エ・ミヨ ワインブック
1980年: ワラワラ・ヴァレー(Walla Walla Valley)のオレゴン側にセブンヒルズ(Seven Hills)・ヴィンヤードを設立。
1980年: デイヴィッド・アデルスハイム(Adelsheim)、ディック・イーラス(Erath)、デイヴィッド・レット(Lett)が州農務省にワインコミッション設立を申請。
第1回スチームボート・コンフェレンス開催。アンプクア・ヴァレーで開催されたこの会議は、ワインメーカーが一堂に会し、技術、テイスティング、品評を分かち合う前例のないものだった。スチームボートは、オレゴンの協力的な精神を祝う、毎年恒例の伝統行事となっている。
持続する事 1980~2000年
1981年:アレン・ホルスタイン(Allen Holstein)は 樹齢10年のクヌッドセン(Knudsen)・ヴィンヤードで1年間トラクターを乗り回して過ごした後、オレゴン大学の博士課程には戻れないと悟る。その後30年、ホルスタインはアーガイル(Argyle)のヴィンヤード・マネージャーとして、クヌッドセン(Knudsen)・ヴィンヤードの農業を続けている。
1982年: アンプクア(Umpqua)・ヴァレーのブドウ栽培者、H.スコット・ヘンリー(Scott Henry)は、10年の歴史を持つヘンリー(Henry)・エステート・ヴィンヤードで、果実の品質が急速に低下していることに危機感を抱き、ブドウの房に最大限の日光を当てるユニークな4本仕立てのトレリス・システムを考案。スコット・ヘンリーのトレリス・システム(Scott Henry Trellis System)は、すぐに世界中の畑で採用されるようになる。
ロニー(Lonnie) ・ライトが、コロンビア・ゴージュ(Columbia Gorge)のオレゴン州側にある樹齢100年のジンファンデルの畑、ザ・パインズ(The Pines)を購入し、復活させる。
1983年: ウィラメット・ヴァレー(Willamette Valley)AVAが設立され、オレゴン州初のAVAとなる。
9人の醸造家が集まり、ヤムヒル・カウンティ・ワイナリーズ・アソシエーション(Yamhill County Wineries Association)を設立。ワイナリーの門戸を開いて「サンクスギビング・ウィークエンド・イン・ワイン・カウンティ」を開催すことを決めた。
1984年: 絶え間なく続く雨、寒さ、ぬかるみ、そして晩熟。あらゆる見地から、この年はオレゴンワイン史上最悪の収穫期となる。
明るい話題としては、この年にキャメロン・ワイナリー(Cameron Winery)が設立され、オレゴン・ワイン・アドバイザリー・ボード(現在のオレゴン・ワイン・ボードOregon Wine Board)が、オレゴン州立大学を通じてワイン醸造学の研究に資金提供を開始する。
アンプクア・ヴァレー(Umpqua Valley)、コロンビア・ヴァレー(Columbia Valley)、ワラワラ・ヴァレー(Walla Walla Valley)AVAが設立される。
1985年: ニューヨークのインターナショナル・ワイン・センターで行われた試飲会で、ワイン専門家たちはオレゴンのピノ・ノワールと2倍以上する価格のブルゴーニュを見分けることができず、また彼らはオレゴンワインを好みのトップ3に選ぶ。
1986年:ケン・ライト(Ken Wright)が、マクミンヴィルでシングルヴィンヤードのワインに特化したブティック・ワイナリーを立ち上げる。彼はそのワイナリーをパンサー・クリーク・セラーズ(Panther Creek Cellars)と呼ぶ。その後、パンサー・クリークを売却し、ケン・ライト・セラーズ(Ken Wright Cellars)とタイラス・エヴァン(Tyrus Evan)をカールトンに設立する。
ケン・ライトとスモール・ワイナリー・テクニカル・ソサエティ1980年
1987年:第1回インターナショナル・ピノ・ノワール・セレブレーションがマクミンヴィルで開催され、世界中からピノ・ノワールの生産者と愛好家が集まる。
1988年:ブルゴーニュで生まれ育った、ヴェロニク・ドルーアン(Véronique Drouhin)が、新たにドメーヌ・ドルーアン・オレゴン(Domaine Drouhin Oregon)を立ち上げ、ウィラメット・ヴァレーでファースト・ヴィンテージを造る。ヴェロニクの実家であるメゾン・ジョセフ・ドルーアン(Maison Joseph Drouhin)が、デイトン(Dayton)の畑とワイナリーに投資したことで、オレゴンに国際的なスポットライトが当たる。同時期に、州知事公邸にオレゴンワインのセラーが設置される。
1989年:オレゴン州で唯一、株式が公開され、株主によって所有されているワイナリー、ウィラメット・ヴァレー・ヴィンヤーズ(Willamette Valley Vineyards)がターナーにオープンする。
同年、ミネソタ州出身で製薬会社で成功を収めた、ケン・エヴェンスタッド(Ken Evenstad)とグレース夫妻がダンディヒルズに土地を16ha購入、ブドウ栽培を始め、後にドメーヌ・セリーヌ(Domaine Serene)としてワインをリリースする。
1989年: セブンヒルズ(Seven Hills)・ワイナリーが初めてワラワラ・ヴァレーのオレゴン州側で創業。
1990年: 恐ろしいブドウの根の害虫フィロキセラがウィラメット・ヴァレーに現れ、ブドウ畑の所有者はブドウの木を引き抜き、フィロキセラ耐性の接ぎ木苗木に植え替えることを余儀なくされる。この作業には費用と労力がかかり、心が痛む。
1991年:ローグ・ヴァレー(Rogue Valley) AVAが設立される。
オレゴン州の18のワイナリーが協力し、ブルゴーニュで毎年開催される樽売り「ホスピス・ド・ボーヌ」を参考に、世界最古のチャリティ・オークションといわれるチャリティ・オークションを企画。サルー!¡Salud! は、出稼ぎ労働者に無料でブドウ畑内の医療を提供するための資金を集めるもので、この種のプログラムは全米で唯一である。
1992年: キング・エステート(King Estate)・ワイナリーの建設が始まる。10年後の2002年、その広大な敷地はオーガニック認証を取得する。現在に至るまで、すべてのブドウ畑をオーガニック農法で栽培する、オレゴン州最大のワイナリー。
1993年: 旧マルトノマ郡プア・ファームの改築が完了し、マクメナミンズ・エッジフィールドが100室の宿泊施設をオープン。広大なトラウトデールのリゾートを訪れる人々は、自家製のワイン、ビール、スピリッツを楽しみながら、ワイン醸造、醸造、蒸留を見学できる。
同年ダンディ・ヒルズでは脳神経外科医ドナルド・オルソン(Dr. Donald Olson)が1972年植樹の歴史あるMcDaniel Vineyardと日本庭園を含むワイナリーを引き継ぎトリイモア(Torii Mor)と名前を変える。
1994年:ハリー・ピーターソン・ネドリー(Harry Peterson Nedry)、ジュディ・ネドリー(Judy Nedry)、ビル&キャシー・ストーラー夫妻 (Bill and Cathy Stoller)が、ニューバーグ(Newberg)にシュヘイラム(Chehalem)・ワイナリーをオープン。当時としては珍しく、パートナーたちはブルゴーニュからコンサルティング・ワインメーカーのパトリス・リオンを招き、創業を手助けした。彼らのブドウのオリジナルの供給源は、ピーターソン・ネドリー(Peterson-Nedry)が1982年に植えたリッジクレスト(Ridgecrest)・ヴィンヤードである。
1995年:アールとヒルダ・ジョーンズ夫妻(Earl and Hilda Jones)は、ローズバーグ(Roseburg)にあるアバセラ(Abacela)・ワイナリーで、太平洋岸北西部初のテンプラニーリョの樹を植樹。彼らのイベリコ品種は国際的な賞賛を得る。
サーモンセーフ認証をもつソーコル・ブロッサー
1996年:ソーコル・ブロッサー(Sokol Blosser)は、サーモン・セーフのサステイナブル農業認証を取得した最初のワイナリーとなる。
1997年: ベセル・ハイツ(Bethel Heights)のテッド・キャスティール(Ted Casteel) がブドウ栽培者のグループを率いて、LIVE( Low Input Viticulture and Enology低投入型ブドウ栽培と醸造) を設立。
1999年:ビル・ホララン(Bill Holloran)が、ウエスト・リン(West Linn)の馬小屋をワイナリーに改造し、オレゴンにおける 『ガレージスト(ガレージワイン)』と呼ばれるスタイルワイン造りムーブメントを起こした事により、郊外と田舎の境界線が曖昧になる。彼はジェイ・サマーズJay Somers(以前はJ. Christopher、現在はJ.C. Somers Vintner)をワインメーカーに雇う。
同年、ビーバートン(Beaverton)のクーパー・マウンテン(Cooper Mountain)・ヴィンヤーズも郊外のワイナリーとして、州内で初めてデメター認定のバイオダイナミック認証を獲得した。
現代 2000年~
2000年: アップルゲート・ヴァレー(Applegate Valley)AVAが設立。
2001年:レネー・ニーリー(Renee Nealy)とローリー・ルイス(Laurie Lewis)が古い倉庫でヒップ・チックス・ドゥ・ワイン(Hip Chicks Do Wine)を立ち上げ、ポートランドの都市型のワイン文化が生まれる。
2002年: ワイン業界が2度も変革を遂げる。環境に配慮して建設されたカールトン・ワインメーカーズ・スタジオ(Carlton Winemakers Studio)がデビューし、州初の複数型ワイナリー施設となる。また、A to Zワインワークスの登場は、完成したワインをバルクで購入し、価格重視のブレンドを造るというネゴシアン・モデルを採用し、瞬く間にオレゴン州最大のワイナリーに成長した。
(左)ドメーヌ・セリーヌ テイスティングルーム (右)カールトン・ワインメーカーズ スタジオ
2003年: また新しいビジネスモデルが登場した年: ローラン・モンティーユ(Laurent Montalieu)と彼のパートナーは、マクミンヴィルにNWワイン・カンパニーを設立し、ブドウ栽培からボトル詰めまでの「カスタム・クラッシュ」ビジネスに乗り出す。
2004年: コロンビア・ゴージュ(Columbia Gorge)とサザンオレゴン (Southern Oregon)AVAが設立。ウィラメット・ヴァレーでは、ダンディ・ヒルズ(Dundee Hills)とヤムヒル・カールトン(Yamhill-Carlton)AVAが設立される。
映画『サイドウェイ』が公開され、ピノマニアに火がつく。
2005年: ウィラメット・ヴァレーのマクミンヴィル(McMinnville)とリボン・リッジ(Ribbon Ridge)AVA、アンプクア・ヴァレー(Umpqua)内のレッドヒル・ダグラス・カウンティ(Red Hill Douglas County) AVAが設立される。当時、リボン・リッジはアメリカ最小のAVAだった。
2006年: シュヘイラム・マウンテンズ(Chehalem Mountains)とイオラ・アミティ・ヒルズ(Eola-Amity Hills)AVAが設立される。
ワイン・アンド・スピリッツ・アーカイブが開校し、WSET(ワイン・アンド・スピリッツ・エデュケーション・トラストWine and Spirit Education Trust)の認定を受け、インターナショナル・ソムリエ・ギルドに加わり、ポートランドが西海岸のワイン教育の中心地として確立する。
2007年: オレゴン州とアイダホ州の州境にスネーク・リヴァー・ヴァレー(Snake River Valley)AVAが設立される。
セレブ・シェフはもう過去のトレンド。この年ポートランドで開催された「デュエリング・ソムリエ/ソムリエ決戦」ディナーシリーズにより、ソムリエの活躍が注目されるようになった。また、リーデル社が初の地域特化型デザインとして「オレゴン・ピノ・ノワール・グラス」を発売。地元のテイスティングルームが、ワイナリーのロゴ入りグラス版の販売を開始する。
2008年: バートニー・ファウスティン(Bertony Faustin)がポートランド西部の丘に、オレゴン州初の黒人が経営するワイナリー、アビー・クリーク・ヴィンヤード(Abbey Creek Vineyard)を設立。
リーデル社 オレゴン・ピノ・ノワール・グラス
2009年: オレゴン州のワイン生産量の約20%を占める14のワイナリーが、オレゴン環境協議会(Oregon Environmental Council)と協力し、米国初のワイン業界炭素削減プログラム「カーボン・ニュートラル・チャレンジ(Carbon Neutral Challenge)」を開始。ワインカントリーのあちこちにソーラーパネルが設置され始める。
ウィラメット・ヴァレー・ヴィンヤーズは、世界初と言われるコルクのリサイクル・プログラム「コルク・リハーベスト(Cork ReHarvest)」を共同で立ち上げる。
イギリスのワイン雑誌『Decanter』が、ワイン界で最も影響力のある50人の「Power List」に、ブドウ畑の気候学の国際的専門家である南オレゴン大学の地質学者グレッグ・ジョーンズ(Greg Jones)を加える。
2011年: ポートランドでは、新しいグループ「PDXアーバン・ワイナリーズ」が結成され、都市型ブティック・ワインの急速な成長を示す。
また、マクミンヴィルにあるリンフィールド大学が、オレゴンワイン歴史プロジェクトを公開。これは、ワイン業界のインタビュー、文書、展示品、写真などを集めたもので、一般の人々が閲覧できるようオンラインでアーカイブされており、学者や報道関係者が参照することが可能となる。
マクミンヴィルのリンフィールド大学では、オレゴン・ワイン・ヒストリー・プロジェクトOregon Wine History Projectを立ち上げ、インタビュー、文書、展示物、写真などをオンラインで一般公開。
2012年: 1月、ジョン・キッツハーバー州知事は5月のオレゴンワイン月間を宣言し、20年以上休眠状態だった伝統を復活させる。
5月には、オレゴン州自動車局によって、全米初のオレゴン・ワイン・カントリー・ナンバープレートが発行される。
11月には、ワイン・スペクテーターWine Spectator誌がオレゴン特集を組み、オレゴンはアメリカン・ピノ・ノワールの故郷であると宣言し、オレゴン初の表紙記事を飾る。
2013年: エルクトン・オレゴン(Elkton Oregon)がオレゴン州で最も新しいAVAとなる。新しいエルクトン・オレゴンAVAは、全体がサザンオレゴンAVA内のアンプクア・ヴァレー (Umpqua Valley) AVAに含まれる。オレゴン州のAVAが合計17となる。
2014年: A to Zが世界初のBコープ認定ワイナリーとなる。
2015年: ザ・ロックス・ディストリクト・オブ・ミルトン・フリーウォーター (The Rocks District of Milton-Freewater) AVA設立。
最初のピノ・ノワール植樹から50年。
2016年: ウィラメット・ヴァレーAVAは、南側の境界線を約8キロ南に拡大し、新たにキング・エステート(King Estate)のブドウ畑が含まれる事となる。
2019年:ヴァン・ドゥーザー・コリドー(Van Duzer Corridor)AVAが連邦政府の認可を受け、2006年以来久しぶりのウィラメット・ヴァレーの内包AVAとなる。このAVAはヴァン・ドゥーザー回廊(Van Duzer Corridor)にちなんで命名された。この回廊は海岸山脈の自然の切れ目で、ウィラメット・ヴァレーの他のAVAと比べて午後に40~50%強い風が吹く。海岸沿いの風に直接さらされるため、平均気温が低く、ブドウの果皮と果肉の比率が高くなり、よりフェノリックな構成、緻密な骨格のタンニン、しっかりとした酸を持つワインができる。
2020年: ウィラメット・ヴァレー北部に、新たに2つのAVAが承認される年: 北西端のトゥアラティン・ヒルズ(Tualatin Hills) と、シェへイラム・マウンテンズAVAを細分化したローレルウッド・ディストリクト(Laurelwood District)である。ローレルウッドの特徴的な黄土土壌を中心に、ウィラメット・ヴァレー北部で最も古いブドウ畑のいくつかを含むこれらのAVAの土壌は、ワインに独特の白亜質や砂利質の質感を与える。
ザ・ロックス・ディストリクト・オブ・ミルトン・フリーウォーターAVAのホースパワー・ヴィンヤード
2021年:オレゴン州で最も新しいアペラシオンであるローワー・ロング・トム(Lower Long Tom)が、オレゴン州で22番目のAVAとして連邦政府から認定を受ける。土壌、地形、気候の特徴を反映したローワー・ロング・トムは、ウィラメット・ヴァレー南部では初となる。
ウィラメット・ヴァレーAVAは、EUで地理的表示保護(PGI)ステータスを取得した2番目のアメリカワイン産地となった。PGI制度は、シャンパーニュやバローロなどの有名な製品を含む、農産物、蒸留酒、ワインの象徴的な名称を地理的原産地と結びつけて保護するものである。アメリカでは、ナパ・ヴァレーと現在のウィラメット・ヴァレーの2つのワイン産地だけが、この認定を受けている。
2022年:現在、オレゴン州には995のワイナリーと1,370のブドウ畑があり、総栽培面積は40,000エーカー(16,000ヘクタール)弱を占める。マウント・ピスガー・ポーク・カウンティ・オレゴン(Mount Pisgah, Polk County, Oregon)が、州内23番目のAVAとして正式に認定される。
このページはOregon wine boardの記事を参照しています。
https://www.oregonwine.org/discover/oregon-wine-history/#founders